TEA TIME

北京レポート

第9回 / 思い出の中の北京

オンナ行政書士・まりつの中国ビシネス(?)ずっこけ奮戦記(1999年1月)

ふと気がつくと、服を着たままベッドの上にころがっている世にも だらしのないこのオンナは、たしかに私。しかも1月だというのに、おふとんも掛けずに。・・・ハックシュン! どうりで寒いと思った。外はもう、うっすらと明るい・・・。冬の北京の朝7時。

「そうか、ゆうべ帰って来て、ちょっと横になりましょ・・・で、服を 着たまま眠っちゃったんだわ!」ああ、誰も見ていないとはいえ、なんてサイテイな私。シャワーも浴びずに・・・。

「ま、いっかー。まだ起きるには早いし、もう少し寝ようーっと。目覚ましを9時にセットして・・・。」この際堕落を極めよう、と開き直るまりつ。(このあたりが、まりつが まりつたる所以です。)

(本当はこんなこと告白したくないのですが、ノンフィクションゆえ嘘はいけないと思いまして・・・。)

次に起きてから、やっとお風呂に入り、ついでにちょっとお洗濯も します。 冬の中国はとても乾燥していますから、部屋の中に干しておけば、半日もすると乾きます。

どのくらい乾燥しているのかといいますと・・・。

素材のフワフワとしたコートを着ていますと、車のドアの開け閉めのたびに、「痛い!」と叫ぶことになります。静電気で・・・。

中国へ来る前にちょっとしっかりパーマをかけますと、どうやっても チリチリパサパサ状態になって、決して美しくはきまりませんので、 「おしゃれ」で通っている女性(男性?)の方は要注意です! 自分で扱えるボディー・パーマぐらいがいいかもしれません。そうでないと、滞在中イライラすることになりますから。

10時になって、お兄さんが迎えに来てくれました。「おはよう、まりつ! ほーら、朝ご飯だよ。」(ワンワン! まりつは犬じゃないよ)

密閉容器の中は、昨夜の餃子を揚げたものでした。 姐姐が私のためにアレンジしてくれたのです。フォークまでついています。こういったまわりの人の何気ない温かさが心にしみます。

「これもおいしいね!」

北京市街を歩く

北京市街を歩く

昨夜の苦しみはすっかり忘れて、またもパクパクと食べる私。その後打ち合わせをし、さーて、スリッパを靴に履き替えて出発です。

約束の3時(申し忘れていましたが、日中の時差は1時間ですので、私は搭乗したら1時間時計を遅らせます)までにはまだまだ時間がありましたが、レポート用紙がほしかったですし、渋滞するとどうにもならない(北京の交通渋滞は有名です)ので、早めにホテルを出発しました。

「ねえ、お兄ちゃん、文房具屋さんに行ってもいい?」 「いいよ。前、君が滞在していた頃よく行った新源市場のあたりに あったよね。」

変り続ける街

・・・「なんか、前と雰囲気が違うね。」「だいぶ変わったでしょ? ここにあった市場はいまはもうないんだよ。北京の市場(シーチャーン)は全部なくなったと思うよ。」「えー! どうして!?」

私は、スーパーよりも市場での買い物が好きでした。そこはけっしてきれいな場所ではありませんが、むしろ潔癖症の人には受け入れることのできないような、混沌とした、雨の日にはドロドロとさえし、匂いもあるような屋根付きの商店街なのですが、数百メートルもあろうかというその道、その空間が私は大好きでした。

アーケードでいちばん多いのが野菜売りです。彼らはたぶんみな、近郊 の農村の人たちです。(北京は、ちょっと中心を離れるとひたすら農村です。) 自分で作ったものを売りに来ますので、農民兼商人です。

中国では、食べ物はキロ単位で買うのが基本です。 「1キロいくら?」がきまり文句です。椎茸や韮などもキロなのです! そうはいっても、もちろんちゃんと少量で売ってくれます。 こういった市場では、秤いまでも「天秤」です。

お店の人と顔馴染みになると、ちょっとしたあいさつをかわすようになります。しばらく行かないと、人なつっこい笑顔が「元気だった?」 と話しかけてくれます。お化粧もしていない、日に焼けて何も飾りたてていないその笑顔が、私にはとてもまぶしく感じます。場で行き交う人々がどのような人生を背負い、毎日を生きているのかはわかりませんが、時が止まったような、でも商いの原点の 感じられるやりとりでいつもごった返しているその道は、とても人間臭い空間なのです。一瞬、そこに居合わせた人々の人生が交差するような・・・。

胡同(フートン: 北京の伝統的長屋式家屋)と同じく、この市場に馴染めるかどうかも、中国を本当に好きになれるかどうかの決め手 になると思います。

でも、その市場はもう北京にはありません・・・。 笑顔の素敵なその女性に会うことも、もう二度とありません。私の中の大事な何かがもぎとられたような感じがして、軽い脱力感 に襲われました。

「政府の政策でそうなったんだよ。汚いものはなくそうという。」 「そっかー・・・そうなの・・・。そうだ! ねえねえ、あとで私が好きだった あのお店(大衆食堂)でごはん食べたいな。」「ああ、あの店もあるかどうか・・・。北京は半年、3ヵ月で変わって しまうからね。もしあったとしても、そこで働いているのはぜったいに 前とは違う人間だよ。」「えー! どうして!? そんなのいや!」「それが北京なんだよ。いいかい、君のもうひとつお気に入りだった、中日友好医院のそばのあのウルムチ料理の店も、きっと存在しない。100%、断言するよ。」

・・・二重にショックでした。 半年見ないと北京の街は変わってしまっている、というのはこのことだったのです。2年2ヵ月も来ていないのだから、当然です。北京は常に時とともに流れていくのです。早足で・・・。自分が北京を生きた証のいろいろなものがなくなっしまっていることを知り、認めることはつらい作業です。北京の何であれば、いつまでも変わらない姿で私を迎え入れてくれる のでしょうか・・・。

つづく